三沢光晴が永眠…

Blog

例によって月曜日。とっても忙しいです。
しかも予定外に日曜日に地域のお祭りに出て、御輿を担いでしまったので、足腰がぱんぱん。
楽しかったですけど、背の高い私には、やはり御輿は鬼門です。
背が高くて損する、数少ないことの一つなのです。
そんな状態ですが、やはりこのニュースを書かずにはいられません。
あの三沢光晴が、13日の試合中にバックドロップを受け、急逝してしまったのですから…
13日の夜、何の気なしに日テレでスポーツうるぐすを見ようとしたら、最初のニュースがこれだったので、ものすごくびっくりしました。
死因が頸髄離断ということは、おそらくほぼ即死だったのでしょうね。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/fight/266436/
13日夜、広島市での試合中に倒れ急死したプロレスラー三沢光晴さん(46)の死因は頸椎(けいつい)損傷に伴う頸髄(けいずい)離断だったことが15日、広島中央署への取材で分かった。


 同署によると、検視の結果、頸椎がずれたことで中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていた。三沢さんは相手選手がかけたバックドロップで頭から落ちて心肺停止となった。広島中央署は、この技で頸椎がずれた可能性が高いとみている。


 三沢さんはリングに倒れ、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージなどの蘇生(そせい)措置を施したが、搬送先の広島市内の病院で13日午後10時10分に死亡が確認された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は、幼い頃からA猪木率いる新日本プロレスが大好きで、金曜八時は金八先生ではなく、いつも新日の試合を見て、A猪木とハンセン・ホーガン・アンドレザジャイアントらの肉弾バトル、藤波と長州の名勝負数え歌(と称された名勝負の数々)、そしてタイガーマスク(佐山聡)の四次元殺法にしびれ続けました。
タイガーが新しい技を繰り出すと、必ず次の週の月曜には、誰かを捕まえて体育館で技の練習をしていました。
タイガーには、ダイナマイトキッドやブラックタイガー、小林邦明といった素晴らしいライバルがいたことも、新日のジュニアを大いに盛り上げました。
そういう意味では、G馬場率いる全日本プロレスでデビューし、佐山の電撃引退後に突如パクリタイガーとして凱旋してきたころの三沢には、さしたる感情はありません。
当時はむしろ、「佐山タイガーの夢を壊すな!」くらいに思っていました。
佐山タイガーの華麗な空中殺法や、空手とマーシャルアーツ仕込みの鋭いキックは、残念ながら体が大きく、キックを磨いた経験もない当時の三沢には、到底マネのできないものでした。
だから、佐山と比べると、むしろ三沢は「でかくてとろい」「決め技(タイガースープレックスとかムーンサルトキックとか)が全部パクリ。パクってない技は地味すぎ」「やたらに負ける(佐山タイガーはシングルでは一度も負けなかった)」というイメージで、何だかいつも肩身が狭そうでした。
だから、きっと三沢は、今でも、「二代目タイガーマスク」なんてとりあげかたをされることは不本意だろうし、相当抵抗があるんじゃないかな。
そういう取り上げ方はやめましょうよ。
リングネームが「二代目タイガーマスク」だったわけでもないんだし。
単に佐山のあとにタイガーマスクを被ったというだけのことです。
三沢本来の歴史は、むしろタイガーマスクを脱ぎ捨てた後に始まったと思いますね。
緑のロングタイツは正直どうかなと思いましたが(ラッキーカラーだそうですが)、右肘にサポーターを撒いてエルボーのラッシュを浴びせ続ける、今までと全く違う姿は、何か吹っ切れた感がありましたね。
その後G馬場が逝去し、本来G馬場の後継者となるはずだったジャンボ鶴田も急逝するという予期せぬハプニングが、三沢をさらに成長させ、さらなるスターダムにのし上げたと思います。
川田や小橋との戦いは、確かに熱く燃え上がる好試合の連続でした。
ファイトスタイルや技は正直地味だったかなという感じが個人的にはありますが、紛れもない三沢本来の姿が、そこにはあったと思います。
三沢がこんなに早く逝ってしまうとは、今後のノアが不安ですね。
小橋もガンから復帰したばかりだし、TV中継も打ち切りになってしまったし、ここでこれだけのスター選手を失うと…
プロレスの火よ消えないで!
ではまた。