帰国しました。

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ついさきほど、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンネ空港からアリタリア航空で帰国しました。
片道約12時間のエコノミーの旅は、185㌢の私には少々しんどかったです。
行きと違い、これから旅!というモチベーションもないし(笑)
先日ナポリ・ポンペイのことを書いてから更新してないので、ざざっとこれまでの足取りを書いてみます。
日時は全て現地時間(日本より7時間後れ)です。
まず初日(18日)はローマに19時ころ到着。
成田からの出発が13時くらいでしたから、約13時間かかったことになりますね。
この日は時間的にホテルの近くのBARで夕食をとって飲んで寝るしかなかったです。機内でも夕食は出ましたが、ちょっと淋しい感じでしたので。
BARは、日本でいうところのバーとは違い、大衆食堂的機能が付いた立ち飲み屋さんといったところですね。
ローマ市内にはなかなか公衆トイレがないので、特に女性など、BARのトイレは重宝しますね。
で、トイレを借りる代わり?に一杯頼むと。そういうシステムになってます。
この日のBARは、パスタやピザもなかなか美味しく、値段も手頃で当たりでした。
で、次の日(19日)がナポリとポンペイ。
何をしに行ったかというと、横浜と同じ港町ナポリの町づくりと、古代にベスビオ火山の噴火で滅んだポンペイの町づくりを視察に行ったわけです。
いずれも非常に参考になりました。
やはり美しい都市を作るには、ゆるぎない都市計画が不可欠ですね。
日本の場合、個人や会社の権利を尊重するあまり、都市計画はかなり後回しになっている感があります。
約2000年前(西暦79年)に滅んだポンペイですらあれだけの都市計画に基づいて町づくりがなされていたということに、改めて驚きです。
ローマも、建物の高さ制限とか、壁の素材制限とか、明かりはオレンジ色しかダメとか、洗濯物は外の道路から見えるところに干してはいけない、などの種々の規制を行って、町づくりを推進しているんですね。
そんな町は、残念ながら日本にはないですよね。
もっとも、ローマ在住30年超の日本人通訳さんの話では、インフラ整備は遅れていて、一番困るのは交通渋滞だそうです。
これは確かにそうかも。
ローマって遺跡だらけなので、地下鉄が二本しかない(掘れない)んですよね。
だから中心部に勤務する人たちは、地下鉄沿線に住むのがベターなんですが、地下鉄沿線はべらぼうに家賃が高く、むしろやや郊外に住んで車通勤(勤務先まで車か、最寄りの地下鉄駅まで車か)の方が割安感があるそうです。
そして、日本のように大型駐車場が作れないので結局路駐が増え、さらなる渋滞を引き起こすわけですね。
でも、それだけの犠牲を払ってもなおローマの人たちは、美しい町づくりを優先するわけです。
貴重なのはこの精神ですよね。
そして次の日(20日)、午前中はローマの地方裁判所に行って法廷傍聴し、午後はローマの下院の議会を見学することができました。
ローマの弁護士って、裁判官と同じデザインの黒い法服(袖の飾りの色だけが違う。裁判官は銀、弁護士は金)を着てるんですよ。
最初はちょっととまどいましたが、だんだん見ているうちにあの法服がほしくなり、思わず裁判終了後、裁判所付近をめぐり歩いてしまいました。
結局ありませんでしたけど(笑)
あと、変な否認をしてる刑事被告人は、どの国でも言い訳が多いのだなと実感しました。
ローマ地裁の場合、言い訳が終わってすぐに実刑になってましたよ。
午後はローマ下院議会見学でしたが、何と私にしては珍しく、集合場所を間違えて遅刻してしまいました。
正しい集合場所はコロンナ広場だったんですが、私はコロンナ宮殿集合だと勘違いしてしまったんですね。
しかもこの二つ、地味に離れてるんです。
コロンナ広場は「柱のある広場」の意ですが、コロンナ宮殿は「コロンナさんの宮殿」なんですね。
下院の指示でネクタイにジャケットで行ったので、暑さの厳しいローマ市内をそのスタイルのまま走り回る羽目になりました。
さらに中間点のトレビの泉のあたりでまた入る道を間違え、結局間違いが発覚してから20分くらい走ったので、汗でジャケットはボシャボシャ。
遅れた私を仁王立ちで待って下さっていたお歴々のド迫力といったら…(汗)
あまりに見苦しかったですし、下院の中で半袖で歩いてる女性を見かけたので、そっとジャケットを脱いで手に持ったら、即座に説明の女性(イタリア人)から「上着を着てください」との厳しいご指摘。
散々でした。
ちなみにイタリアの場合下院議員の定数が630人で5年ごとに全改定。
上院議員の定数が315人で同じく5年ごとに全改定。
上院と下院の権限等には特に差はないそうです。
なぜ二院制を取っているのか?分かりませんでした。
あと印象的だったのは、下院の議長ほか一部の方々しか入れない奥まった会議室に、ナポレオンが唯一自分でポーズを取って描かせたという自画像が飾ってあったことです。
でもイタリアから見れば、ナポレオンってフランスの侵略者では?
それがイタリア議会の奥に飾ってあることが素朴に疑問ではありました。
イタリア人ってよく分かりません。
時差で眠くなってきたので、続きはまたあとで。
ではまた。
弁護士安富真人