処分保留釈放…

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先日もブログに書いた漁船衝突事件、なんと勾留延長決定から間もない、勾留期間満了前に、中国人船長が那覇地検から処分保留のまま釈放されるという、呆気ない幕切れになってしまいました。
処分保留というのは、別に嫌疑が晴れたわけではなく、不処分と決まったわけでもない、ということです。つまり、今から起訴、ということも理屈上は可能なのですが、一般的にはあまりそういう扱いはありません。
大体の場合、身柄解放から数日内に改めて「不処分」という結論が出されて終了している印象です。
まして中国人船長は、もう中国へ帰国してしまうのですから、事実上起訴することは無理ですよね。
つまり、もう刑事事件としては、ジ・エンドです。
船長の釈放を受けて、中国では鬼の首をとったような大騒ぎのようですね。
日本は自分の主張が不当であることを認めた、現場は中国の領海だ、尖閣諸島も中国の領土だ、ってな感じで。
あの国ではいつものことではありますが、「日本に謝罪と賠償を要求する」とまで言われちまってます。
このあまりに腰砕けで情けない幕切れ。
我々はもちろん、子孫に対してまで確実に重すぎる負債を残しましたよ。あの村山談話クラス、もしかするとそれ以上の。
ここできっちり刑事処分を下しておけば中国も尖閣諸島にはもう少し慎重になったのではないかと思いますが、もう尖閣諸島について日本が何を言おうとも、中国は意に介しないのではないでしょうか。
こんな情けない先例ができてしまったのですから。
唯一のケジメは、管総理が即辞任し、内閣も総辞職して総選挙を行って国民の意を問い、一日も早く新たな政権から中国に対し、毅然とした対応をとり直すことしかないと思います。
なんか自民党が言ってることそのものみたいですが、別に自民党に期待してるわけでもありません。
そのくらいあまりにも大きすぎる失態だと、一日も早く対応しないとさらにキズを広げると、そう言っているだけです。
今回の処分について、財界では一部評価の声もあるなんて報道もありますが、とんでもない。
元銀行マンの私ですから、もちろん経済の重要性は認識しているつもりですし、商売のためなら場合によっては二枚舌三枚舌を使うこともありうる、そのくらいのしたたかさが必要なことは百も承知です。
しかし、物事には曲げてはならないスジ、譲ってはならない一線というものがあるのです。
領海問題はまさしくそれ。
小手先で紛争を回避しようとして、曲げてはならないスジをねじまげるなんて、あまりに浅はかです。
今回のことで、将来に渡ってあまりに多くのものを失ったことがわからず、知ったようなことをぬかす財界人がいるのが、腹立たしくてなりません。
高度経済成長期の気骨ある財界人たちだったら、絶対に評価するはずなどないと思います。
せめて管総理は、船長釈放と引き換えに全てを直ちに正常化するとか、中国に交換条件を飲ませるくらいの寝技を使うことはできなかったのでしょうかね。
今の中国マスコミの騒ぎっぷりを見る限り、そんな気配は微塵も感じられません。
管総理の政治外交手腕には、正直相当失望しています。
「那覇地検が独自に判断した」なんて仙石さんが言っていましたが、あれは言葉どおりには受け取れません。
もちろん検察庁の処分に対して政府が直接口出しすることはできませんが、これほど政治性をはらむ問題について、検察庁から政府に対して一応の意向確認がなされないはずがないですし、政府として検察に対して何らかの意向表明をしないはずがないんです。
つい政治的なことばかり書いてしまいましたが、弁護士ブログですから、法的側面からこの問題に切りこんでみましょう。
ずばり、「中国人船長を公務執行妨害罪で有罪にできるかどうか」。
例によって報道レベルの知識しかありませんが、その範囲で申し上げると、今回中国人船長を公務執行妨害罪で有罪にできるかどうかの最大のポイントは、「海上保安庁の船と中国漁船が衝突した場所が日本の領海内といえるかどうか」だったと思います。
本来的な公務執行妨害罪の構成要件ではないのですが、まあその点で被告人が否認してくることは必至でしょうから、検察立証の最大のポイントになることは明らかでしょう(あまり言いたくありませんが、そういう主張にとびつき大騒ぎしたがる、ある意味売国奴的な日本の弁護士がいるであろうことも、残念ながら事実です)。
上記の点を構成要件的にいうと、海上保安庁の船が領海内で「公務」に従事していたといえるかどうか、という点に関わると思います。
中国人船長に公務執行妨害の故意があったかという点にも少し絡みますが、判例に照らせば、「公務」の立証さえできれば、中国人船長の故意は問題なく認定されるだろうと思います。
また、上記の点は、あまり耳慣れないかもしれませんが、いわゆる「統治行為」の問題に発展する可能性があったと思います。
万一統治行為の問題が出てくると、実はかなり刑事裁判は厄介だったかもしれません。
まず、検察庁は、どのようにして「衝突地点が日本の領海であったこと」を立証するのでしょうか。
第一に衝突地点の特定が必要です。
これは海上保安庁の船にGPSでもあれば、かなり正確に特定できると思います。
まあ今日では軽自動車にすらナビがあるんですから、巡視船にGPSがないわけはないだろうと思います。
第二に、その衝突地点が日本の領海内かどうかですね。
この点は、正直どう立証するのか、今ひとつよく分かりません。
おそらく、検察庁は何らかの資料を用意するのでしょうが、もしかするとこの点は明白な公的資料が存在しない可能性があります。
現在領海がそんなにきっちり明確に線引きされているものなのか、約20年前に大学で国際法を受講した程度の私には、残念ながらよくわからないのです。
また、仮に何らかの公的資料を用意できたとしても、被告人側は確実に不同意にするでしょうから、検察は、その資料の作成者か誰かを証人として申請し、証人尋問によって衝突地点が日本領海であることを立証することになるように思います。
しかしそんな証人候補なんて現実にいるものでしょうか。
仮にいたとしても、その人は証人尋問に応じてくれるでしょうか。
問題が問題だけに、たぶん証人の命の危険まで十分ありえますよね。
で、もし証人がいないとか、いても効果的な証人尋問ができず、結局検察が十分な立証をなしえないとすると、なんと中国人船長は、日本の刑事裁判において無罪判決を下されてしまう可能性があるのです。
いわゆる「疑わしきは被告人の利益に」です。
こう考えてくると、中国人船長を有罪にするためには、実はそもそも立証の面で、かなりのハードルがありそうだということが見えてきます。
さらに、仮に検察が「衝突地点が日本領海であること」について一定の立証を行ったとしても、その問題の有する高度の政治性ゆえに、裁判所が判断を回避してしまう可能性があるのです。
これが「統治行為論」です。
国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性を有するがゆえに司法審査の対象から除外すべきとするもので、立法・行政・司法はそれぞれ独立性をもつとする三権分立の考え方から導かれる理論です。
できるだけ簡単に申し上げると、政治的判断は行政(内閣)が下すべきで、行政と異なる司法(裁判所)が下すべきではない、だから裁判所は判決において政治問題を判断しない、ということです。
この統治行為論に基づく判断が下された有名な事件としては、砂川事件という、当時東京の立川にあった米軍基地(今は昭和記念公園などになっている)の拡張を巡る反対運動の中で、一部の運動員が基地内に踏み入れたということで罪に問われ、駐留米軍や旧日米安保条約の合憲性が問題となった事件があります。
この事件の最高裁判決では、「…日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」との判断が下されました(最高裁大法廷判決昭和34.12.16)。
ちなみに一審の東京地裁では真逆の判断(昭和34.3.30。米軍基地は違憲=全員無罪)が出ていて、これに対してなぜか検察が跳躍上告という、高裁をとばしていきなり最高裁の判断を仰ぐ手続をとり、最高裁で一審判決が破棄差し戻し、というかなり突飛な展開だったようです。すごく興味深い展開ですが、この話はまたの機会に。
万一裁判所において統治行為論が用いられ、結論として中国人船長が無罪判決を受けてしまったら、その波紋は今回の処分保留釈放どころではなかったでしょうね。
そういう意味では、今回の釈放で一番胸をなでおろしているのは、実は那覇地裁刑事部の裁判官かもしれません。
というわけで、今回の那覇地検判断は、もしかすると、上記のような立証の困難や、統治行為論による無罪判決のリスクを考え、公判維持が困難とする、検察としての純粋な判断であった可能性もある、とは思います。
もしそうなら、法律家としては、決して間違いとはいえない判断だと思います。
私の想像ですが、FD改ざん問題で威信に傷がついた形の検察庁からすれば、今回は、威信回復のためにも、意地でも起訴にもっていき、有罪判決を勝ち取りたい事件だったのではないかと思います。
今回のような腰砕けの処分ではさらに検察庁バッシングが高まることは、最初から明白だったわけですから(事実そうなってるし)。
だから、検察庁は、きっと相当苦渋の判断だったのだろうとは推察します。
しかし、やはり不満です。
こんな幕引きでは、まるで日本が中国のわがままと経済的圧力に屈したみたいじゃありませんか。
日本の正当な国益を守らずして一体どうするのですか。
日本人の誇りは一体どうなるのですか。
私は、自分は弁護士としては理論派だと思います。
しかし、生の事件解決に当たる場合は、理論だけではだめなこともあるのです。
理論だけで押し切れる事件はそれで十分ですが、世の中には理論だけでは押し切れない事件もあるのです。
そんなとき大事なのは、やはり情熱や根性です。
本件は、日本人の誇りや情熱・根性をもって、徹底的に訴追してほしかったなあ。
今からでも那覇地検の捜査検事にしてほしいくらいですよ。
まったく。
ではまた。