裁判員裁判って一体誰のための裁判?

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昨日、横浜地裁で、命乞いする男性2人の願いを聞き入れずに電気のこぎりで首を切断する等して残虐に殺害した被告人男性に対し、検察官が死刑を求刑した裁判員裁判の判決がありました。
ご存知のとおり、裁判員裁判として初めて、死刑判決が下されました。
量刑については、おそらく妥当ではないでしょうか。
報道レベルで見知った知識の範囲では、まあ死刑以外ありえないだろうという感覚です。
ただ、どうにも釈然としないのが、以下の2点です。
1.裁判長が被告人に控訴を勧めたこと
裁判官たるもの、判決言い渡しに当たっては堂々と言い渡していただきたいものです。
しかも判決主文は死刑すなわち極刑なのです。
仮にも人一人の命を奪う刑を言い渡した直後に、「控訴審の意見も聞いてみてください」というある意味真逆のことを口にするのは、ちょっとあまりにも軽率かつ無責任ではないでしょうか。
命を奪われる被告人本人に対してはもちろん、既に命を奪われてしまっている被害者やそのご遺族に対しても非常に失礼な話ではないでしょうか。
弁護人に対しても失礼だと思います。
死刑を宣告された被告人の弁護人が、控訴を検討しないわけないじゃないですか。
いちいち言われるまでもありませんよ。
弁護人はアホだと思ってるんでしょうか?
おそらくは、裁判長のこの言葉は、主には裁判員に向けられたものなのでしょう。
例えば「上でも判断してもらえるから、あなた方はそんなに責任を感じなくて良いよ」というようなことかと思います。
しかし、裁判員の心理的ケアなんてものは、仮にするとしたって、裏でコソコソやればいいんです。
なんで公開の法廷でやるのですか。
誰のために裁判をやっているのですか。
報道を聞いたとき、裁判所の無神経さが如実に現れた感があって、非常に不愉快でした。
2.「裁判員への心理的ケアが必要」なる論調について
裁判長の言葉が火付けになってか、「裁判員の心理的負担が心配だ」「今後の裁判員への心理的ケアが課題だ」的な論調をそこかしこで見かけます。
しかし、私はそもそもこんな話が出てくること自体、本末転倒だと思いますし、ものすごく違和感を感じます。
まず、裁判員は、無作為に選ばれ、固辞もなかなかかなわず、必ずしも100%心から希望して集まっている方ばかりではないとはいえ、国から任命され、正式な仕事として裁判員に従事しているのです。
仕事に責任とストレスは付き物。
ガキじゃないんですから、ストレスくらい自分で消化しなさいと思います。
それが責任ある大人ってものじゃないでしょうか。
いかに重い仕事とはいえ、裁判員が仕事のたびいちいち心理的ケアなるものを必要とするなら、そもそもその仕事に携わる資格に疑問符ありということではないでしょうか。
報道では、涙を流していた女性裁判員もいたとのことですが、私に言わせれば論外ですね。
死刑言い渡しに当たって裁判官が泣いていたなんて話は聞いたことがありません。
ちょっとヒューマニズムに酔いすぎなんじゃないでしょうか。
あくまでも仕事である事を忘れていませんか。
我々の司法修習の頃の常識的な法廷秩序からすれば、判決言い渡しにあたって壇上にいる人間が泣いているなんてことは絶対にありえない事態です。
被害者のご遺族は、さぞ腹立たしく思われたことでしょうね。
そもそも刑事裁判は、被告人と被害者(注:いわゆる被害者のない犯罪もありますが、それはここでは除くものとします)のために、被告人の犯した犯罪を裁くために行うものであると私は考えます。
別に裁判員のために裁判員裁判をやっているわけじゃないんです。
裁判員は主役じゃないんですよ。
あくまで裁判官の補佐にすぎないんです。
そこをみなさん勘違いしていないでしょうか。
安っぽいヒューマニズムに流されてか、また死刑廃止論的な論調が勢いづいたりしている感もありますが、「裁判員の心理的負担が大きいから死刑は廃止すべき」みたいな論調は、あまりに本末転倒ですし、レベル低すぎです。
別に裁判員のために裁判をやってるんじゃないんですから。
裁判員がかわいそうというなら、それに合わせて他の制度をどうこうするのではなく、裁判員制度そのものを見直せば済むことです。
死刑が求刑された裁判員裁判に臨む裁判員の皆さんには、
「仮に目の前の人間が奪った命が、あなたの大切な人の命だったとしても、それでもなおあなたは『死刑は反対』といえるのか」
とか
「仮に死刑にしなかったとして、目の前の人間がまた誰かの命を奪ったら、あなたは、そのご遺族に対して何と言って詫びるつもりなのか」
ということも考えていただきたいですね。
それが被害者とご遺族の立場に立つということです。
単に「人の命を奪う判断を下す役割は嫌だ」「重い役割から逃げたい」なんて発想しかないようでは、刑事裁判に携わる資格はないでしょうね。
かつての裁判官は、そのような重圧を一人で抱えて、誰にも相談できずに耐えてきたんです。
これまで裁判官の心理的ケアがどうとか言ってた人なんて、誰一人いないじゃないですか。
裁判員を混ぜて法廷の質が下がったとして、その下がったレベルに全てをあわせていくという発想は、土台からおかしいと思います。
司法制度改革は、ロースクールや新司法試験など、全てそういうゆとり教育的発想が根底にあるように見えます。
現場に携わるものとして、本当に無駄な改革ばかりだと思います。
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改めて思いますが、裁判員裁判は不要だと思います。
国民だって、一部を除けば裁判員なんてやりたくない人ばっかりだと聞きます。
一部の裁判に携わってみたい人は、今ならロースクールに入れば昔より数十倍以上間単に法曹になれますから、頑張って勉強して裁判官になればいいじゃないですか。
裁判に携わるに十分な知識と心構えを備え、法曹資格を取得し、裁判官に任官すれば済むことですよ。
ではまた。