年明けの朗報

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おとといから執務を開始しました。
初日から法律相談あり、訴訟対応あり、緊急の電話対応や書面作成あり、などなどと盛りだくさんでしたが、本日未明になってようやくひと段落しました。
そういうときにあたふたしないよう、年内に相当頑張ったつもりなのですが、それでもやはり執務を10日間くらいお休みすると、そういうことになるのですね。
嬉しい悲鳴です。
その後はいただいた年賀状を見るのが年始の楽しみです。
プライベートな年賀状は自宅でやり取りしていますが、弁護士としてのオフィシャルな年賀状は事務所でやりとりしているので、事務所に来ないと事務所関係の年賀状は見られないのです。
依頼者の方や関係者の方、弁護士や裁判官などの法曹仲間や、昨年新たに知り合った方々など、たくさん頂くので、時間はかかりますが、きちんと一枚一枚見ています。
なかなか頻繁にはお会いできない方々も多いので、個人的には、年賀状って、大変だけどいい風習だと思っています。
メールで済ませる方も増えているようですけど、あれじゃ味気ないですよね。
そんな中、一通の手紙が届いていました。
2年ほど前に私が国選刑事弁護を担当した、30代男性からの手紙でした。
私は本当に感動しました。
以下、ちょっと長くなりますが、支障のない範囲で、彼のことを記します。
 ◇◇◇◇◇
当時彼は、定まった住所を持たず、仕事もなく、食い詰めた結果、窃盗(万引き)で逮捕・起訴されたのです。
私服警備員にその場で捕まったので、幸いにして経済的な実害はなかったのですが、彼は少し前にも刑事事件を起こして執行猶予付き有罪判決を受けており、執行猶予期間中だったのです。
そのため、本件では実刑判決を受けることとなり、前の裁判の執行猶予も取り消され、前の裁判で受けた判決の分も合わせて、刑務所で服役することになったのです。
刑事事件としてはそれはそれで致し方ないと思います。
しかし、このまま服役を終えて出所したとしても、このままではまた彼は同じような事件を起こす可能性が高い、そうなれば彼は娑婆と刑務所の往復を繰り返す人間になってしまう、まだ30代なのだから今ならやり直せる、刑事裁判の法廷立会いだけで終えてしまっては何ら根本的な解決にならない、と思いました。
そのため、私は、刑事記録にあった彼の戸籍謄本を手がかりに、もう数年間音信不通だという彼のご両親の住所を調べて、手紙を書きました。
彼の助けになってくれる可能性があるのは、ご両親しかいないと思ったのです。
彼が一度前の住所を訪ねたところ既に引っ越してしまっており、引越先はもちろんわからず、前の住所の番地や電話番号もよく覚えていないとのことでしたので、彼の戸籍から遡っての調査が必要になったのです。
刑事弁護人としては、必ずしもそこまでやる必要はないのですが、誰かがやってあげなくてはいけないことですから、やってあげたかったのです。
諸事情から彼は短期間のうちに何回も養子縁組を行った過去があり、実のご両親の戸籍から抜けてしまっていたため、実のご両親の住所を調べるのは大変でしたが、多数の戸籍謄本類を取得し、何とかご両親の現住所を探すことができました。
(ちなみに戸籍謄本類を取得する費用は、国からは支給されないので、私の自腹です。)
ご両親には、現在の彼の状態と刑事裁判期日をご報告するとともに、できれば彼に接見に行ってあげてほしい、できれば一度私までご連絡を頂きたい、とお願いしたのです。
勾留中の彼に接見し、ご両親へ手紙を送ったと報告しましたが、彼の反応はいまいちでした。
彼は、もうご両親は自分を見捨てている、もう絶対に自分のために動いてくれるはずなどない、と思っていたのです。
しかし、数日後、お母さんから私の事務所へ電話がありました。
私は留守だったので、事務所へ戻った後、直ちに折り返しの電話を入れました。
お母さんは、数年間音信普通だった息子が刑事事件の被告人になっているということもさることながら、息子が自分の姓を捨てて全く違う姓になってしまっていること(=正確には、A姓からB姓になったことはお母さん自身の戸籍で分かっていたが、さらにそこから複数回姓が変わっていたこと)に激しい衝撃を受けたご様子で、そんな息子のためにできることなど何もないと、最初はとりつくしまもない状態でした。
しかし、お話をしているうちにだんだんとお気持ちもほぐれてきたご様子で、次第に今のご家族の状況や、昔の彼のことなどを話していただくことができるようになりました。
そして、刑事裁判へのご協力や、刑事裁判の傍聴は無理としても、接見に行くことは検討していただけるということになりました。
それだけでも、相当な進歩でした。
このときの電話は、1時間くらいには及んだ記憶です。
判決が言い渡された後、私は、お母さんにお電話しました。
お母さんは、結局仕事や介護などが忙しくてなかなか平日に時間を作ることができず、家から片道2時間くらいかかってしまうこともあるため、まだ接見には行けていないとのことでした。
「彼に控訴の意向はありませんので、あと2週間くらいは以前と同じ勾留場所にいます」
「収監されてしまうと、刑事弁護人であっても、彼から連絡が来ない限り、どこで服役しているのかが分からなくなってしまうのです」
「お忙しいとは思いますが、できれば2週間くらいのうちに一度接見に行ってあげてください」
とお願いして電話を切りました。
また、彼には、刑務所内でもきちんと勉強ができること、(刑務所にも寄りますが)資格を取ることもできること、出所後も社会復帰するための支援団体があること、等を説明し、もう二度とこのようなつまらない犯罪で人生を踏み外さないようにと話しました。
彼は、一応きちんと聞く姿勢をとってはいるのですが、あまり反応がなく、正直申し上げて、私の目から見ると、話の内容をきちんと理解しているのかどうかよく分からない感じでした。
まあそういうキャラクターだったのでしょうけど。
 ◇◇◇◇◇
それ以来、お母さんからも彼からも連絡はなく、正直申し上げて、私の頭からは彼のことも事件のことも、失せてしまっていました。
彼の(失礼ながら)茫洋としたキャラクターや反応からして、まさか手紙をいただけるなどとは夢にも思ってもいませんでした。
初めて見る彼の手紙は、このような内容でした。
1.先生のおかげで、あれから両親は接見に来てくれました。収監された後、遠方の刑務所にも接見に来てくれました。自分担当の保護司さんにも、出所後は身元引受人になると約束してくれました。本当にありがとうございました。
2.今自分は、●●社会復帰促進センター(※安富注:犯罪傾向が軽微な人に対して社会復帰を促進する、いわゆるPFI型の民間施設のことです)にいて、職業訓練を受けています。
3.日商簿記3級の試験にも合格しました。今は日商簿記2級の試験を受けるために勉強中です。
4.出所後には複数の養子縁組を解消して元の姓に戻って頑張りたいと思っていますが、養親の連絡先が分からない場合、養子縁組の解消はどのようにすればよいのでしょうか。教えてください。

 ◇◇◇◇◇
いや~~!!!
嬉しいじゃありませんか!!!
彼はちゃんと頑張ってるじゃないですか!!!
ご両親とも関係が修復できているようですし、本当に目ざましい進歩ですよね。
嬉しくなって、早速返事を書いてしまいました。
返事の内容はナイショです。
あ、もちろん養子縁組の解消は可能ですよ。養親の連絡先がわからなくても。
弁護士って、こういうことが嬉しいんです。
思いもよらず年明けからBIGなお年玉をもらった気分で、本当に嬉しいです。
今年もよい滑り出しで、ますます頑張ろうと思えました。
私の方こそ「どうもありがとうございます」ですよね。
ではまた。